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華僑菜とは? |
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太平燕のルーツ
昔から言われていたのは、「戦時中貧しかったのでフカヒレの代用で春雨を使った」、とか、 「燕の巣のスープを模した」、という説。 もともと大陸 福建省にそういう料理はあったのだが、幻の料理で今はない、と私は聞いていた。 しかし!なんと熊本地局のKKTが福建省ロケを敢行。 現地の市街地にデカデカと「太平燕」と大書された看板を見たときは驚いた。 やはり福建の本場にあったのだ、と思いきや、どうやら熊本の太平燕とは似て非なるもの。 肉だけで皮もつくる「燕皮」という肉団子スープであった。 とても手間がかかる料理らしく 現地の人でも故郷を旅立つ時などにしか食べれないお祝い特別料理であった。 どうやら九州に渡った華僑達が名前だけを拝借したようなのだ。 日本の太平燕を考案したのは一体誰? 紅蘭亭の創業は1934年。半年先に中華園さん。創業当時すでにメニューには乗っていたらしい。 九州華僑の総本山、長崎の崇福寺には毎年夏に「ポール」とよばれる旧盆が催され 九州中の華僑が 集合する時となっている。 家族でおとずれ寺内に寝泊まりする。当然炊き出しも行われる。 そこで出る汁ビーフンが絶品なのだが これが太平燕とよく似ている。 特定の誰かが考案したのではなく華僑菜のひとつとして、いやむしろ華僑菜の源としての 太平燕があるようなのだ。 御年、80を超える長老にも聞くが 「もうそん頃のじいさん達ぁ死んでしもうて分からんたい」、が真相のようだ。 太平燕はなぜ熊本名物? そもそも九州全域に太平燕があったことは判明している。 長崎崇福寺を中心とした九州華僑の横のつながりは非常に強かった。 お互い、縁戚関係を結んだものも多い。当然料理も共通していた。現に長崎には今もある。 しかし個食ではなく宴会料理のひとつとして太平燕。 なぜ他県ではほとんど絶滅してしまったのか? 今となっては注目されている太平燕ですが、それよりもずっと以前から、それこそ創業してから 70年の永きに渡り 紅蘭亭では常に人気商品。その太平燕を注文するお客様層は圧倒的に女性であった。 太平燕の素晴らしさを見い出し大事にしてくれた「熊本の女性」達の支持があったからこそ、 メニューから消えることなく熊本名物として定着することができたのだろう。 太平燕の育ての親は「熊本の女性」。この場を借りて厚く御礼申し上げます。 |
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