熊本名物
「太平燕のルーツ」

九州菜としての太平燕

「太平燕」は歴史的に見ると
110年から120年ほど以前に
九州に福建華僑がわたってきたときに創作を加えて作られたモノであるということは間違いがないと思います。
その当時の状況を推測するとなにかしらの事情で故国をあとにし、長崎に上陸した華僑たちはとりあえず手近なところで職をみつけ生活を始めました。彼らは同郷意識が非常に強く、特に長崎は現在でも「福建寺」のようなものが残っていたり華僑たちのつながりが現在でも非常に強い感があります。
おそらく何かのお祝い事などがあれば集まって「太平燕」を作っていたのでしょう。
「ハレの食」としての太平燕が最初の姿だったのです。
その他太平燕からの発展形とも推測できる「ちゃんぽん」(喫飯=チーファンの福建なまりからそう呼ばれるようになったという説もある)「焼きビーフン」。「パリパリ焼きそば」「蝦吐司」=ハトシ(蝦のトースト揚げ)「東菠肉」、「皿うどん」、なども発生していきました。

温暖な海洋性気候の中で育まれたおだやかな、しかし深みのある料理たちです。それは「何々料理」とか「なんとか派」であると大上段にふりかぶったスタイルとは違う母の味、また民衆の味であったと思います。
それはそのまま九州の人々に諸手を上げて受け入れられていったのでしょう。

原点

九州華僑は殆どの人が長崎から入ってきました。長崎四大唐寺なるものが現存しているのもその名残です。
その四大唐寺のひとつ宋福寺は福建省出身の菩提寺でもあり今でも毎年夏のお盆(ポールと呼ばれる) には九州各地の華僑達が集まります。家庭によってはそこに数日泊まり込むのです。その時の炊き出し料理が美味しいのです。
特に汁米粉は定番。炊き出しの担当は各家庭のおっかさん達や食堂の店主。その原点は母の味であり、この汁米粉に凝縮されているようにおもいます。

熊本名物「太平燕」

熊本県人が県外に出て「納す(なおす=片付ける)」と言うと「え?」と言われ、「掃く(はく=掃わく)」と言うと「え?」と言われます。
そして「太平燕(たいぴーえん)!」と中華料理屋で注文すると「え?」と言われます。その時に初めて「太平燕は熊本にしかなかったったい」と気付くのです。
給食にも普通に出るくらい生活に溶け込んだ当たり前の料理。それが熊本の太平燕であり「どうやら熊本にしかないらしい」と認知されてきたのは最近の話しで「太平燕倶楽部」のサイトや県や市の後押しもありここ数年は太平燕ブームです。
太平燕の本家を自負する当亭としては有り難い限りのお話なのですが、「そもそも太平燕はだれがつくったのか?」「どこが本場なのだ?」「語源は?」などの諸説が論争を呼んでいます。以下は「太平燕」に関する当亭の見解を独断的に述べさせていただいております。

熊本名物のルーツ

昔から言われていたのは、「戦時中貧しかったのでフカヒレの代用で春雨を使った」とか、「燕の巣のスープを模した」、という説です。もともと大陸 福建省にそういう料理はあったのですが、幻の料理で今はない、と私は聞いていましたが、なんと熊本地局のKKTが福建省ロケを敢行。 現地の市街地にデカデカと「太平燕」と大書された看板を見たときは驚きました。
やはり福建の本場にあったのだ、と思いきや、どうやら熊本の太平燕とは似て非なるものでした。
肉だけで皮もつくる「燕皮」という肉団子スープだったのです。とても手間がかかる料理らしく現地の人でも故郷を旅立つ時などにしか食べれないお祝い特別料理でした。
どうやら九州に渡った華僑達が名前だけを拝借したようなのです。

日本の太平燕を考案したのは一体誰?

紅蘭亭の創業は1934年。半年先に中華園さん。創業当時すでにメニューには乗っていました。九州華僑の総本山、長崎の崇福寺には毎年夏に「ポール」とよばれる旧盆が催され、九州中の華僑が 集合する時となっています。
家族でおとずれ寺内に寝泊まりする。当然炊き出しも行われる。そこで出る汁ビーフンが絶品なのですがこれが太平燕とよく似ています。
特定の誰かが考案したのではなく華僑菜のひとつとして、いやむしろ華僑菜の源としての 太平燕があるようなのです。御年、80を超える長老にも聞きますが 「もうそん頃のじいさん達ぁ死んでしもうて分からんたい」、というのが真相のようです。

太平燕はなぜ熊本名物?

そもそも九州全域に太平燕があったことは判明しています。長崎崇福寺を中心とした九州華僑の横のつながりは非常に強く、お互い縁戚関係を結んだものも多いのです。
当然料理も共通していました。現に長崎には今もあります。しかし個食ではなく宴会料理のひとつとして太平燕が登場します。
なぜ他県ではほとんど絶滅してしまったのでしょうか?今となっては注目されている太平燕ですが、それよりもずっと以前から、それこそ創業してから80年の永きに渡り紅蘭亭では常に人気商品です。その太平燕を注文するお客様層は圧倒的に女性でした。太平燕の素晴らしさを見い出し大事にしてくれた「熊本の女性」達の支持があったからこそ、メニューから消えることなく熊本名物として定着することができたのでしょう。 太平燕の育ての親は「熊本の女性」。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

太平燕かくあるべし

太平燕を守ってきたお店として
「かくあるべし」、たるものがあります。

1)春雨は ・・・緑豆100%であるべし

よく市中で出回っている春雨はデンプンが 混入されています。最近売り出されているインスタントやレトルトものはほとんどそう。
混入されていると引きが良くなり滑らかになるのですが 本来の春雨とは別モノ。味の深みがなくなり何よりもカロリーが高くなってしまいます。
 
食べ慣れていけばぶちっと切れていく緑豆の素朴な味深さが分かるようになるでしょう。

2)虎皮蛋(フーヒータン)・・・揚げ卵のこと

これは必ず太平燕には入っていなければいけません。あっさりしたスープには絶妙な絡みを見せます。
この卵のために  太平燕はある、というのは言い過ぎでしょうか。子供たちは幼いころからこのフーヒータンをめぐり攻防を繰り広げるのです。

3)スープ・・・鶏ガラと豚骨の共出しであるべし

コクと味に深みが出ます。油で野菜を炒めながらそこに投入されるガラスープが沸騰することによって乳化され、口あたりがやさしい五臓六腑に沁みる味となります。

4)福建の塩・・・太平燕で使う塩にはこだわりがあります。

当亭は世界でも数少ない天日干しの福建天然塩を使用。発祥の地の精が込められています。

5)おいしく作ろうと思う心

紅蘭亭の太平燕は一杯一杯全て調理師が味をチェックし微調整しています。スープの状態、野菜の持つ甘みも季節によって少しずつ毎回毎回違います。
作り手の「おいしく作ろう」がひとつひとつにきちんと反映される料理です。